「マークシティの傍らに、気になるカフェがある」  そう思ったのはもう何年前になるか思い出せません。  コンサート、展覧会、友人との会合、など渋谷に来る機会は度々あれど、私はその店の場所を長らく見つけることができないでいました。

「地図で言えば、このあたりなんだけどね」  マークシティの脇の坂道を上がった先にある老舗のライブハウス「ラママ」の帰り道、まだそれほど遅い時間ではなく、久しぶりに会えた友人ともう少し話したい気持ちもあって、見つけられないままでいるカフェのことを思い出しながら、彼女にそう話しかけました。 「せっかくだから探してみようよ、私も行ってみたい」  顔をほころばせた彼女に嬉しくなり、私は何度も開いた地図を開いて、お店の住所を辿りました。

 人の身長よりも大きい文字で「雀荘」と掲げられている建物は、「ラママ」に向かう折、目印にしていた建物でした。坂道の途中で90度に曲がった道の角。坂の下からだと遠くからでも目に付く建物の入り口に、風景に溶け込むようにしてそのお店の看板は存在していました。

Tokyo Salonard Cafe dub

 何十年前に立てられたのかもわからない渋谷の駅前という都会の片隅の古ぼけたビルの階段を上がり、両側から閉ざされていた白い扉を一呼吸の後に押し開けると、そこには思っていたよりも広く薄暗い空間がありました。天井が高く、片側一面にはすりガラスの窓があり、シャンデリアとともに大きな鹿の剥製がかけられたお洒落な味付けがなされていなければ、そこはまるで昔の工場を思わせる場所であったように思います。  そこここに置かれたテーブルには女の子らしい人や男の子らしい人は居らず、大人っぽい服を着た人たちがぱらぱらと点在し、それぞれにワインを傾けたり、食事を楽しんだり、PCを広げて仕事の話をしていたりとさまざまに時間を過ごしているのが見て取れました。  普段足を運びなれた明るい空間としてのカフェに比べ、シックで落ち着いた薄暗い場所としてのここは、コーヒーよりもお酒を飲む場所というほうが似合うといってしまってもいいかもしれません。テーブルに通された私と友人は、目を合わせて「せっかくだからワインを飲もうか」と笑いあいました。    頼んだのは前菜の盛り合わせ。「美味しい」と顔を見合わせるものがひとつまみずつの二人分。はちみつとチーズのピザ。ミートソースのグラタン。それに赤ワインが1本。  私たちの酒が回るにつれて、薄暗い店内のそこここに点る小さな蝋燭の明かりがぼんやりと暖色ににじみ始め、グラスの水滴に宿る光が冬の夜のイルミネーションの幻を見せるような気がしました。壁から顔を出す大きな鹿の剥製と、窓の外に遠く存在するのだろう渋谷の町の喧騒と、たくさんの小さな炎。そしてテーブルの上のカフェに期待するレベルを遥かに超えたきちんと手のかかった料理と、私と友人のごく個人的なうち開け話。  それは愉しい夜でした。どこでもいいから適当に、という気持ちで訪れたこの場所で、私たちはこれほどまでにいい時間を過ごすことになると思っていなかったように思います。  あらためて言ってみるのも滑稽な気がしますが、日常の中には小さな魔法が潜んでいます。季節の匂いや、誰かの気配や、珈琲と音楽だとか、そんなたわいのないものですが、ここには小さな魔法があったような気がします。そんな夜でした。

このスポットの情報
スポット名 Tokyo Salonard Cafe dub
連絡先 03-3463-0724
住所 東京都渋谷区道玄坂1-11-3 富士商事ビル 2F
定休日 無休
営業時間 [月~木] 12:00~24:00(LO23:30) [金] 12:00~27:00(LO26:00) [土] 14:00~27:00(LO26:00) [日・祝] 14:00~23:00(LO22:00)