友人の暮らすつつじが丘に、「お箸で食べる洋食のお店があって、何でも凄く美味しいの」と聞いてから、ずっと訪れてみたかったお店を、やっと訪れることが出来ました。

箸で食べる洋風料理『くしのはな』

 つつじが丘の駅ロータリー側に出て左手、薬局や飲み屋の連なる商店街を進んで、何本目かの角を左手に折れた場所に、そのお店はありました。一見すると居酒屋に囲まれている立地ということもあり、飲み屋のようにも見えてしまいそうな場所にあるお店は、外側から店内を覗くことが出来ず、私は友人に教えて貰わなければ、一人でこの場所を通りかかっても、このお店に入ってみる度胸はなかったかもしれないな、と少し思ってしまいました。

 友人たちと一緒に扉を押し開けると、それほど広くはない店内の壁一面に料理やお酒のメニューが張り出されているのが見え、思わず見渡してしまいます。店内は左手奥にカウンター席が数席と、右手に四人掛けのテーブルが二つほど。カウンター奥のマスターが一人でこれだけの料理を賄っているという話を友人から聞いていたため、想像以上に多彩なそのメニューの品々が(そして美食な友人が「何を食べても美味しい」と自信を持って熱弁することもあり)一層の期待を煽るように思われました。

 注文を決める間もなく、お通しとして私たちの前に運ばれた一皿に、私たちは大袈裟ではなく感嘆の声を上げました。丁寧に作られたのが見ただけで分かる端正な一皿は、何から口に運べばいいのか迷ってしまうほど。フランス料理の前菜風に皿中央に寄せられたグリルされたズッキーニ、丁寧に皮をむかれて御浸しにされた小茄子、シロップ煮になった無花果の実は一見して皮を剥かれたトマトのように従順で、一口大に誂えられた薩摩芋は薩摩芋そのままかと思いきや洋菓子のような触感がありました。それらを統べるように上を向いた海老は軽く指で摘まむだけで汁が滴るほど柔らかで、それらを取り囲むようにバジルのソースと褐色色のシロップが半分ずつに滲んでいます。お通しとして供されたこの一皿だけで、このお店がいかに丁寧に食材を扱っているのかということが感じられたような気がしました。

 以前、このお店を訪れた友人に「前は来た時は、どれを頼んだの? どれが美味しかった?」と尋ねると、「えっと、いろいろ頼んじゃったけど、全部美味しかったよ。あ、これ綺麗だった。花のサラダ」とメニューのうちのひとつを指さしました。 「あとね、これ」  友人が次に指さしたのは『花の丼』と書かれたメニューでした。 「花の丼なの?」 「うん、ドリアン助川さんっていう作家の人がこのお店の常連で、その人の小説に出てくる料理なんだって。すごくきれいなの。美味しいし」 「へえ」  半信半疑のまま、私たちは、彼女の指先のさした幾つかの料理と、気になったお料理を数品、それに人数分のお酒を注文することにしました。

 お酒に続いて、最初に運ばれてきたのは『花のサラダ』でした。華やかな大皿の上に盛り付けられた、満開の花束のような(この比喩が大袈裟ではないことを、実際に前にすると分かって頂けると思います)サラダが数人でつついても十分なたっぷりの量で私たちの前に供されました。  サラダとしてスタンダードな緑と赤のレタスと、数種類のトマト、胡瓜、フレンチドレッシングで丁寧に和えられた全体の所々に瑞々しい桃色の生ハムと、サーモンが覗いています。ドレッシングのオイルが全体に光を纏わせるように包み、それだけで溜息を吐くほどでしたが、それらの上を彩るのは、散らされた紫色の菫の花と、濃紅色のカーネーションの蕾でした。  なにこれ、きれい、美味しい、という貧しい語彙以外の言葉を奪われたように、私たちは一皿のサラダを突きながら我を忘れるようにサラダを頂きました。一口ごとに口の中で滲む素材の味とドレッシング。時折ピリと刺激が残るのは、赤い果実のようなピンクペッパーの存在でした。一皿の料理に、これほど言葉を奪われるという経験は、それほどあるというものではありません。

 続いて運ばれたのは、私が気になってお願いした『地鶏の塩辛』。大ぶりの笹の葉が横たわる上に櫛切りのレモンが添えられた一皿は、散らされた小口切りのネギの香りがする、印象の強い品名と反して慎ましやかな一品でした。生の鶏肉を口にした経験も殆どなく、戸惑いながらその一片を箸で摘まみあげ、口に運ぶと、塩辛という名前にイメージされるような強い癖はなく、ほんのりと塩の味わいが膨らむ繊細なお肉の触感が舌に滲みます。 「……美味しい」  強制された訳でも、気を使った訳でも、間を持たせようとした訳でもない感想が、湧水のように思わず口からこぼれたのは、私だけではなかったと思います。

 私たちは、お酒を口に運びながら、普段は話さないようなことまで思いつく色んな話をしました。時折グラスを傾けて、そして時折箸の先で慎ましやかな肉片を摘まんで口に運びながら。お酒が進む一皿、という料理の意味は、お酒を進めるだけではなく、会話までも円滑にする魔法を内包しているんじゃないかと思わせるほどに。

 その次に運ばれたのは、品名を失念してしまったのですが、オーブン焼きのグラタンスープ。チーズが被せられた表面は香ばしく焦げ色をしていて、それを箸で突き崩した下には茶褐色の甘い玉葱と、良く煮込まれている柔らかい豚肉がコンソメのスープに浸されていました。  そして話に聞いていた『花の丼』がテーブルに運ばれます。先ほどの花のサラダの華やかさとは違い、こちらは丼によそわれたご飯の上に、シラスが散らされ、その上に煮しめられた菊の花が鮮やかな黄色で装う一品でした。醤油よりも薄い色のたれで、全体の味は柔らかく包まれています。上品な菊の花の黄色い和え姿は、まるで上品な和装の女性の立ち姿を思わせるようでした。 「この花丼は、頼むと『運命のカード』が引けるんだよ」  差し出された色とりどりの短冊形のカードから一枚を抜くと、その裏面には『運命の一言』が書いてありました。 『プライドを捨てられるプライド』……?  思わず考え込んでしまった私に、友人は「私、これだよ」と見せてくれた言葉は、 『お困りでしたら、磁石で頭を撫でてみたら如何でしょう』……???  顔を見合わせる私たちに、ここへ連れて来てくれた友人が「このカードも全部、ドリアン助川さんが作って持ってきてくれたんだって」と声を掛けました。 「へえ、じゃあ、ファンの人は、すごく嬉しいんだろうね」 「うん。小説読んで、これを食べに来る人も居るみたい」 「そうなんだ」  気を取り直して、丼からお箸で、ご飯とシラス、菊の花を幾らかずつお皿に取って頂きます。 「美味しいね」 「うん、美味しい」 「さっぱりしてる」 「菊の花を食べてるって、やっぱり何だか不思議」  口々に感想を呟きながら、私たちはあっさりと丼を食べつくしてしまいました。

「もう一品くらい、何か食べたいよね」 「じゃあ、こないだ来た時に食べたナポリタンが凄く美味しかったから、それにしない」 「ナポリタン! 食べたい!」 「じゃあそれで」    お願いして、幾らかして出てきたナポリタンに、私たちはこの日何度目かで言葉を奪われました。想像以上の重量級。スタンダードなソーセージとマッシュルーム、ピーマンとベーコンを太麺のスパゲッティとトマト片の残る真赤なソースで和えた一皿は、迫力があると言っても差支えがないほどに、しっかりとした一皿でした。  ナポリタン好きの、その場に居ない友人の顔を内心で思い浮かべながら、あの子に教えたらきっと目の色を変えるだろうな、と考えます。甘い香りのトマトソース。所々に覗く玉葱。『ナポリタン』という食べ物の理想形のイメージがあるとすれば、目の前のこの迫力のある一皿は、概念としての完全な形の『ナポリタン』に近いのではないか(空腹な人が思い浮かべる夢のように美味しいナポリタンは、きっとこんな感じ、という意味で)、と私は内心で考えていました。  少なくはない量の食事を済ませている私たちは顔を見合わせて、「ちょっと量多いかもね」と言いあいながら、結論としては冷めてしまう前には、綺麗に平らげていたことも併記しておきます。ナポリタンのお味は、ぜひお店で確かめてみてください。理想の概念に近い気がした、という私の印象の正誤も。

 お腹が一杯になってから、テーブル脇に掲げられたメニューの一覧を見上げてみると、この日食べられなかったけれど、気になる品目がいくつも目についてしまいます。 『合鴨のソテー』 『ダチョウのカルパッチョ』 『ワニ肉のグリル』 『仔羊のロースト』 『ウサギの唐揚げ』  合鴨と仔羊以外は、私の口にしたことのない食材ばかりです。 「いろんなものを扱ってるんだね」  何の気なしに私の言った言葉を、連れて来てくれた友人が 「全部マスターが一人で仕込みをしてるっていうから、すごいよね」  と頷いてくれました。

 沢山の話をして、笑いあってお酒を飲み、お腹いっぱいになるまで美味しいものを頂いた幸せな夜でした。帰り道の電車の中で、私はまたこのお店を訪れようと思っている自分に気付きました。できれば、喜ばせたい誰かを連れて。花のサラダを、丼を、今日私の食べた美味しいものを感激してくれる誰かを連れて。  この店を教えてくれた友人は、喜ばせたい相手として私たちを選んでくれたのだ、ということに追って気が付きます。  ――幸せな夜だったなあ、  思わず口から出た言葉に、帰り道が重なった友人は、「明日も仕事だね」と笑いました。

お店の紹介ページがあったので添えておきます。 お料理の写真も沢山ありました。気になった方どうぞ♡ くしのはな

このスポットの情報
スポット名 くしのはな
連絡先 TEL&FAX 042-480-6570
住所 東京都調布市西つつじヶ丘3-25-1
定休日 月曜日
営業時間 営業時間 18:00 ~ 1:00