暦は9月に入ったけれど、空はまだどことなく夏の名残を強く感じさせる色あいである。
都会のビルの谷間から思い出したように空を眺めるときなど、しみじみ、何にもさえぎられていない広く高く青い空を眺めていたいという願望が強く沸きおこるけれど、一歩往来の激しい通り、言わば“雑踏”のなかに入り込んでしまうと、まるで波にのまれたように、そんな風に思ったことすらあとかたもなく忘れてしまう。後になって思い出しては、いつも反省しきりなのだが、それもまた良いのか悪いのか、都会暮らしがすっかり板についてきた証拠と言えるのかもしれない。
空と言えば僕は子どものころから飛行機が大好きだった。模型飛行機を作るのはもちろんのこと、自分で試作した飛行機に模型用エンジンを搭載して、あちこち広いところを探しては(といってもだいたいが山なのだけれど)、思う存分飛ばして遊んでみたり、本や図鑑などもずいぶん読みふけったものだった。ゆえに飛行機に対する愛着は子どもの頃だけにとどまらず、大人になってもその情熱は続いた。ここだけの話、飛行機操縦のライセンスを取ろうかと真剣に考えた時期も若い頃にはあったのだ。だから今でも飛行機を見るたび、熱い想いで胸がいっぱいになる。
調布には小型飛行機(セスナ機など)を中心とした有名な飛行場がある。「調布飛行場」だ。
1941年に東京府の設置により、軍民共用の飛行場として開設されたのがそもそものはじまりで、終戦後、一旦はアメリカの所有となったが、1973年には飛行場地区は全面返還された。今では「都営コミューター空港」として、新中央航空の飛行機が毎日、調布―大島、調布―新島、調布―神津島間を3~4便就航している。
僕が新中央航空へ立ち寄った時にはもう離陸した後で、ターミナルには一機も飛行機は残っていなかったけれど、管制塔近くのフェンス越しからセスナ機を眺めることが出来た。眺めているうちに懐かしいことを思い出した。
皆さんはご存知かどうかわからないけれど、僕の若い頃に「宣伝飛行」というのがあった。セスナ機にパイロットと二人乗り込んで、それぞれ一分間ずつカセットテープに吹き込まれた宣伝文句を流しながら、店の上や周囲を宣伝して歩く、のではなく宣伝して飛び回るのである。僕はよくそのアルバイトをした。飛行機を見るのも乗るのも好きでたまらなかったから、まるで願ったり叶ったりのアルバイトだった。仕事を終えて、止ったままのセスナ機の下で心地よい風を浴びながら昼寝をするのがまた格別だった。
だからいまでもセスナ機のエンジン音やそれによって回るプロペラの風を切る音を聞くとたまらないような気持ちになる。まさに胸が躍るといっても過言でないほど、幸福な気持ちになるのだ。
セスナ機を十分眺めた後でもまだ名残惜しい気持ちで調布飛行場を後にして、この近くにあるという国立天文台へ寄ってみた。
緑の森に囲まれた国立天文台は、江戸後期の「浅草天文台」がはじまりとされ、明治21年に麻布に東京天文台が作られ、その後、街が明るくなり過ぎたという理由で、この三鷹へ移転してきた。現在では世界的にも天文学の中心的な研究・活動機関である。この国立天文台三鷹キャンパスでは一般の人も見学をすることが可能だ。なかでも第一赤道儀室は大正10年に作られた最も古い観測用建物で国登録有形文化財にも指定されている。
飛行機と星との関連は深く、夜飛行する際は星の動きや位置をもとに方向を定めて飛行するくらいで、偶然の一致だろうが、調布のこの丘陵地帯に飛行場と天文台が隣り合うように並んでいるのはおもしろい。空と天文学、どちらも広すぎる世界だけれども、無限のロマンがあって僕らの心を掴んで離さない。
掲載日付:2008/09/10