切り絵風景ハンティング/代田橋:街はぴライター 投稿記事

切り絵風景ハンティング/代田橋
【文化・歴史】【全線】
久保修」さんによって書かれた記事です。  
青い空に白い雲、かしましく鳴くセミに明るい色の朝顔。風鈴、花火、蚊取り線香の匂い。そして、キリリと冷えた生ビール。
夏である。
ひたすらに暑い、夏である。
夏の暑さには、逃げ場がないというか(もちろん、クーラーや扇風機などの冷房器具は別として)、着ているものを全部脱いで裸になったところで、結局、暑いものは暑いのである。その点冬はたくさん着込めば寒さは防げるという発想において、僕は冬のほうがトクイなのだが、それでも夏の暑さというのは、何度迎えても少年の頃を思い出すようなノスタルジックな気分にさせてくれる。だから暑い暑いと言いながらも、毎年嬉々として盛夏を楽しんでいたりする。
夏といえば、子どもの頃、こわいくせによく友達と肝試しをした。夜の神社へ行ったり、暗い山に登ったり。木の葉のカサコソという音や、山に住むタヌキの、闇のなかでキラリと光る眼に見つめられただけでも、十分に怖かった。そんなことすらあの頃の僕たちには楽しかった。
僕が育った山口県美祢市は中国山脈のど真ん中で、どこを向いても山ばかりだから、山の怖さというか闇の怖さというものを良く知っているし、それこそ子どもの頃なんておばけや妖怪なんて本当にいると思っていた。もちろん、おばけや妖怪なんていうものは毎日を忙しく暮らす現代人から見れば、ありもしない、闇への畏怖から産まれた空想の産物だと鼻で笑われてもしかたないのかもしれないけれど、それでもいやいやどうしてなかなか、今でも地名に妖怪の名残を見出せるところがあったりする。それもなんと、東京23区に。
皆さんは「だいだらぼっち」という妖怪を知っているだろうか。日本の各地で伝承される巨人で、とてつもなく大きい。普段は沼や山を作っていたと言われ、例えば、甲州の土を取って富士山を作ったり(土を持っていかれたので、甲州は盆地になったのだとか)、各地に座ったり、手をついた跡などを残している。それだけでなく、榛名山に座り、ふんどしを洗ったなんている話も残っている。
そんなだいだらぼっちが、東京にもやってきて、大きな足跡を残していった。かつては大人が大股であるいても三十数歩の大きさがあったという窪地は、残念ながら現在では埋め立てられてなくなってしまったけれど、そのだいだらぼっちが確実に残していったのが、「代田」という地名だった。
京王線の「代田橋」という名も、だいだらぼっちが架けた橋に由来しているというから、昔の人は信心深いというのか、大らかというのか、けれど、心楽しい地名を世田谷の端に残してくれた。
この代田という土地は、吉良氏の家臣が戦国時代の末期に土着し開墾を行っていったという。それでも、寛永年間(1624~1643年)の頃は七軒の農家とお寺がひとつあったきりの静かな農村だった。 
駅そばのおもちゃ屋のご主人に話を伺ったところ、昔は、裏の玉川上水で友達と蛍狩りができるほど水が綺麗で澄み渡り、緑も豊かであったという。昭和30年の頃までの東京にもまだ蛍が飛ぶほどの自然が残っていたのだと思うと、感慨深いものがある。その場所は駅構内からも見え、現在では水がせき止められているようだったけれども、今でも濃い緑に覆われていた。いるはずもない蛍を思わず探してしまう自分がいた。
だいだらぼっちの足跡といわれた窪地は今はなく、彼が架けたという代田橋も現存しない。それでも僕はこの町のどこかに、だいだらぼっちの痕跡を求めてしまう。
みんなが寝静まった頃、闇に紛れて忍足で代田を訪れるだいだらぼっちを想像した。それは夏の暑さのためか、ノスタルジーか。 
だいだらぼっちよ、戻って来い。
掲載日付:2008/08/13
沿線ライター:久保修さん
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