切り絵風景ハンティング/明大前:街はぴライター 投稿記事

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切り絵風景ハンティング/明大前
【文化・歴史】【全線】
久保修」さんによって書かれた記事です。  
空はどんより曇り空である。雲の合間から時折雨が落ちてきては、また止む。灰色の厚ぼったい雲がどっしりと身を横たえているようだ。こりゃ、そのうちザーッと降られるな。
駅の改札を出たとたんに、生暖かい風に出迎えられた。それに相応するような雨模様の空を見て、梅雨明けまではまだまだと感じる。
突然、ドッと湧きかえるような歓声が上がった。学生たちだ。サークルか何かの集まりだろう。数十人の学生たちが、空模様と正反対の屈託のない笑顔を見せ合っては楽しげに談笑している。
ここは「明大前」。
言わずと知れた明治大学和泉校舎のお膝元である。
繁華な街はまさに学生街、と言った様子で、どこを向いても学生、学生、学生である。活発な笑い声がそこかしこに聞こえ、街は喧騒に満ちている。今ではにぎやかで明るいこの街も、昔は畑や雑木林の広がるのどかで静かな土地であったという。今回はその時の話をしよう。
明治大学和泉校舎前を走る甲州街道は、江戸時代においても主要な街道であったと同時に、幕府の天領として軍事的見地から重要視されていた。それを物語るのが、幕府の火薬や武器を貯蔵、保存していた“焔硝蔵(えんしょうぐら)”の存在である。
江戸幕府、または徳川幕府と呼ばれ、265年続いたこの江戸時代も、時代の潮流に押し流されるようにして明治の世を迎えた。焔硝蔵もその機能を残しつつ、陸軍省の火薬庫と名を変え、代々木練兵場(今の代々木公園)まで爆弾や爆薬を牛に引かせて甲州街道を往き来していたと言う。牛に荷を引かせて行く姿はのどかな光景だが、その荷はのどかと正反対のものだから、そのギャップたるやすさまじい。
そのようにここは陸軍の火薬庫としての役割が非常に大きかったため、大正2年、現在の京王線の前身である京王電気軌道によって「火薬庫前」として駅が開業された。その後、大幅な軍縮が行われた結果、火薬庫は廃止。駅名も松原、明大前と改称される。そしてその跡地には明治大学予科が移転し、関東大震災で甚大な被害を受けた築地本願寺別院・和田掘廟所が建てられることとなった。現在でも明治大学正門横にはひっそりと、かつての史実を残す「焔硝蔵跡地」の看板が立てかけられている。またその明治大学からすぐ隣には築地本願寺の墓所がある。佐藤栄作を筆頭に、江戸末期の眼科医で、目玉を彷彿とさせるユニークな形の土生玄碩の墓があり、その他に海音寺潮五郎、樋口一葉、大薮春彦などの著名人が眠っている。緑豊かな墓所で、隠れた桜の名所でもある。今やたくさんの車が行き交うこの甲州街道にも、江戸から明治へと移行する動乱を、沈黙を持って見続けた歴史の証人という一面があると思うと、歴史の奥深さを思わずにはいられない。
ひと通り辺りを散策しながら、駅へと向かう途中にその佇まいが懐かしい、手焼きの煎餅屋があった。現在ではアンティークもの、といっても過言ではない円形のガラス瓶のなかには、何十種類もの煎餅が所狭しと入れられている。どれもこれもうまそうで、どれを買おうか迷ってしまう。容器からざくざくと煎餅を袋につめながら、店の看板娘である元気の良いおかみさんが終戦後のこの辺りの商店街のにぎやかかりし頃の話をしてくれた。
味自慢の煎餅をいくつも平らげながらこんなことを思う。時の流れは変わってもそう遠くない昔、人々は一日一日を必死に生きながら、こうやっておやつを食べ、家族と団欒し、それぞれの人生を全うしたのだろう、と。そう考えると、この煎餅の一枚に過去から現在までの確かな時の流れを感じる。……と思うのは少し大げさだろうか?
掲載日付:2008/06/18
沿線ライター:久保修さん
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