久我山駅から徒歩15分ほどの烏山寺町地区は知る人ぞ知る、風情豊かな町である。どこか懐かしさを感じさせて、どことなく優雅で、「小京都」の風情が漂う、静かで落ち着いたたたずまいが印象的な町だ。
そもそも世田谷区になぜ“寺町”が生まれたかと言うと、それは大正12年に首都東京を大混乱に陥れたあの未曾有(みぞう)の大惨事、「関東大震災」と実は深い因縁があると言う。
特に被害が多かった浅草や神田、日本橋などの下町と呼ばれる地域では、その復興と区画整理のために、周辺にあった寺は移転を余儀なくされた。当時の烏山は畑や山林などの荒地であったため、道路整備を始め、本堂や庫裡の新築、作庭が進められ、多くの人々の努力と協力によって今日まで続く26もの寺町が作り出された、それが今日の烏山寺町というわけなのだ。
震災後誕生した町、烏山寺町はその歴史の新しさと相反して、閑静でどこかノスタルジックな雰囲気を持つ。商店街を抜けて、ゆるやかな道を歩いてゆくと次第に緑が濃くなり、岩崎橋まで来れば、もうそこは玉川上水だ。陽に照らされ、雨にうたれて、若葉は青々と深みを増してゆく。 玉川上水を抜けると、そう遠からぬところに目的の烏山寺町があった。木々の合間からお堂の屋根が威厳のある姿を見せる。
たまさかすれ違う車や人。それもじきに、ふっと姿を消すようにいなくなってしまう。時折、畑が点在し、クレマチスの花がまるで喜んでいるかのように空を見上げて咲いている。どこまでも続く塀、欅の木。竹林が風に揺らぎ、心地よい葉のざわめきを聞かせる。
実際この一画には全くといっていいほど、自動販売機のようなものは存在しない。あるのは静寂と豊かな自然だけだ。
足の赴くまま辺りを歩く。専光寺という浄土宗のお寺の前を通りかかったとき、僕は驚いた。あの、葛飾北斎と並ぶ国際的に有名な浮き世絵師、美人画の大家の喜多川歌麿の墓石が道路に向かって鎮座していたのだ! 彼の墓も震災後当地移されたのだろう。僕は切り絵で主に風景画を描いているので、北斎に慣れ親しむところが多いのだが、念のため画聖に向かって合掌しておく。意外なところで意外な人物の墓を詣でたものだ。フムフムと思いつつ、また歩き出す。
来る途中で教えられた高源院に立ち寄る。この寺の名物であり、今でもこんこんと水が湧く弁天池は通称、鴨池と呼ばれ、初夏には睡蓮が池一面に広がるという。
はたしてその通りで、朱塗りの浮き御堂を囲むように睡蓮の花が咲いていた。その間を大きな鯉や亀が気持ちよさそうにゆったりと泳いでいる。 池の面を眺めていると、息せき切って犬を連れたお嬢さんが朱塗りの欄干を渡ってきた。
「あ、いた!やっぱり鴨がいた」と嬉しそうに叫んでいる。お嬢さんが身を乗り出してなにやら池を眺めているので、思わず僕もその方を向く。
たしかに、いたいた! カモの親子だ。目を凝らしてみないとよくわからないほど小さなコガモが、元気よくあちこちを泳ぎ回っている。なんとなく言葉を交し合っているうちに、このお嬢さんの生物への知識が並々ならぬことを知り、聞いてみるとやっぱり、大学で生物学を学んでいるというのだ。生物学を学ぼうと思ったきっかけも、この自然豊かな烏山寺町地区と関係がないわけではないらしい。四歩(しほ)ちゃん、という名の犬を連れたお嬢さんにこの町で生きる生き物たちの話を聞いた。蛙や蛇、カワセミもこの池に姿を現し、タヌキが辺りを親子連れで歩いていることもあると言う。
都会に居て、豊かな自然環境から多くの事を学べるこの町を僕は心底うらやましく思う。
願わくはこの自然がいつまでも続くように。そう思わずにはいられない、小さな散歩の旅であった。
掲載日付:2008/06/11