切り絵風景ハンティング/多摩を歩く~平山城址公園 後編~:街はぴライター 投稿記事

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切り絵風景ハンティング/多摩を歩く~平山城址公園 後編~
【文化・歴史】【全線】
久保修」さんによって書かれた記事です。  
この記事は前編と後編に分かれています。
前編をまだお読みでない方は、まず前編からご覧ください。

 長くゆるやかな坂が続いている。ふりかえれば葉を落とした木々の合間から今歩いてきた街が見える。カラスやヒヨドリが木立を縫うようにスイスイと美しい線を描きながら飛んでいく。近道とおぼしき急な斜面を這い上がるようにして登りつめた先には、小さな祠があった。
平山季重神社という。
 寿永3年(1184年)、つまり平安時代末期、摂津国福原(現神戸市)にて源氏と平氏が戦った。世に聞える、一ノ谷の合戦である。この戦いで源氏方の侍大将を務めたのが平山武者所季重。その季重を奉っているのがこの平山季重神社というわけだ。
 50年ぶりに立て替えられたばかりだという祠は、総ヒバ造りで森厳とした空気の中に凛と佇んでいた。その姿はいにしえの武将を偲ばせる潔い美しさがあった。手を合わせて時の勇士に祈る。目指す公園はもう、目と鼻の先だ。
 東京にはかつて多くの城が築かれていた。武蔵国と呼ばれる、東京23区、多摩、横浜、川崎と埼玉の一部を含んだ一帯には現在も約170もの城跡が残ると言われ、その“つわものどもが夢の跡”は城址公園として保存され、人々の憩いの場となっている。しかし、平山城址公園は城跡を指す公園ではない。先の平山氏の見張り所であったと言い伝えられているのだ。砦も山城の一部と言えば、見張り所も山城の一部であろう。そんなところからこの公園は城址公園と名付けられたようだ。
 源氏と平氏の戦いから時を経て、いまでもその当時の名をとどめるこの場所も、現在では春になれば満開の桜が咲く桜の名所となっている。桜の季節になれば、花びらは戦乱期を生きた人々を弔うように、優しくハラハラと散って行くのだろう。今やすっかり葉を落とした裸木の桜を見ながら、しばし800年以上も昔の歴史を思う。園内をぶらぶらと歩き、そのまま外へ出た。気の赴くまま歩くことにする。 坂を下って、小学校の脇を通りぬける。静かな雑木林が続く。時折、ピロロロと不思議な音が聞こえてくる。なんだろうと思いながら歩いていくうちに音の正体が分かった。
 多摩テックだ。あの不思議な音はここから聞こえてきたのだ。
 雑木林の間から観覧車が間近に見え、園外にはモータースポーツを楽しみたい人向けのトライアルパークがあり、起伏の激しい斜面をバイクで登ったり降りたり縦横無尽に走っている。すごいテクニックだ・・・いつかやってみたいなと思うが、僕は見ているほうが良さそうだ(笑)多摩テックの脇をそのまま道沿いに歩いていく。これはもう、ハイキングと言っても過言ではない。雑木林を通りながら、懐かしい木の実を見つけたり、竹の根を取ってはそれを磨いて棒にして遊んだりした子ども時代をふと思い出した。拾ったどんぐりはやじろべえにしようか。そんなことを考えながらあるいていくと広い道路に出た。
 何台も走り去る車を横目に、昔ながらの堂々たる家が道沿いに数件続いていた。頑丈な納屋や蔵がいくつも建っている。このあたりは昔は農家が多かったのだろう。現在も先祖からの田畑を守っているようで、道路脇の畑には大きな大根が白い肌を見せていた。大根は、大好物である。僕は大根こそ生のまま齧るを以ってよしとしている。嘘ではない。農家の方がいたらお願いして譲っていただきたいくらいおいしそうな大根だったのだけれど、残念ながら人影は見えず、泣く泣く大根畑を後にした。
 源氏と平氏の戦いまで遡っていにしえの人を思ったり、雑木林に子ども時代を懐かしんだり、現代的な娯楽施設を目の当たりにしたりと平山城址公園駅での散策は、さまざまな時代の様相を楽しめた満足いっぱいの一日になった。願わくは、大根で締められたらよかったのだけれど……。うーん、それだけが誠に残念であった。
掲載日付:2008/02/13
沿線ライター:久保修さん
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