気がつくと12月になっていた。早いものである。だが、目をつぶれば今でも青い空や白い雲、茹だるような暑さと耳をつんざくセミの声、そのかしましささえもありありと思い出すことができる。夏と共にいたつもりがあっという間に秋に変わり、そしてこの12月になっていた。今年ももう終わりではないか! 個展やスケッチ取材などで全国各地に出かけたりして休みがほとんどないめまぐるしい一年を過ごしてきたが、この一年の総決算ともいうべき最後の一月を迎えるに至って、少しのんびりしようかという気持ちよりもなんだか背筋がピンと張るような、引き締まるような気分になるのはなぜだろう。物事の終わりというのはあっけなかったり、寂しかったりするものだが、一方で物事の新しい始まりを受け入れようとする気概みたいなものが湧き起こる。もしかすると僕にはもう新年を受け入れる心の準備みたいなものが無意識の内に起こっているのかもしれない。
さて、なぜ僕はこういう思いに至ったのか、それは晩秋の井の頭恩賜公園とまるっきり関係がないわけでもないのである。
みなさんご存知の井の頭恩賜公園は、京王井の頭線「井の頭公園駅」を降りて徒歩0分。たくさんの木々と水の宝庫だ。歴史は古く、もとはこの武蔵野の一帯は徳川歴代将軍たちが鷹狩りを楽しんだ鷹場であり、江戸幕府三代将軍家光が鎌倉時代末期に火事で消失した弁財天を再建し、「井の頭」という地名も付けたと伝承されている。その後、井の頭池と一帯の林は幕府の御用林として管理されてきたが、明治維新後に東京府が買収し、現在の宮内省の御用林となり、1913年、帝室御料地から東京市に下賜され、1917年、井の頭恩賜公園として開園された。「恩賜」と付く由縁はそこにある。
さて、話を戻そう。僕が訪れた日は休日で、空は快晴。鮮やかに色づいた木々を見ようと多くの人々が公園に遊びに来ていた。
モミジにイチョウ、ケヤキもさることながら、井の頭池に沿って続く桜の紅葉が美しい。春は桃色の雲のように、いや、霞のように朧(おぼろ)で儚(はかな)げな夢幻の世界の光景と思われる桜が、秋になると葉を色づかせ、最後にもうひと盛りさせる。桜はその花の頃ばかりが口の端に上るが、その後の紅葉こそ夢幻とはまた別の、現実的で自然らしい力強い美しさがあって僕は好きだ。花にばかり御株を奪われてたまるか、という葉の意気のようなものすら感じる。
ベンチに腰を下ろして池を囲むように林立する木々を見ていると、隣のベンチからこんな声が聞こえてきた。声の主は、若い恋人同士である。
「葉の落ちた後の木ってなんだかかっこいいよね」
「そうかな?」
「だってさ、これから寒くなるっていうのに葉を全部落としちゃって、裸一貫で闘ってやる! っていう熱い闘志みたいなのを感じるんだもん」
「そう言われればそうかもな~」
恋人同士の何気ない会話に僕は少しドキンとした。身を飾るものがないのは淋しいし、心もとない。けれども、余分と思われるものを捨て去って、身一つで踏ん張っていくのは大変だけれど、それは必ず成長することでもある。いったんすべてを無にして新しい自分を手に入れるということは困難であるだけにそれだけ感動も達成感も大きい。今年の垢を振り払って、まっさらな気持ちで新年を迎えよう。そう僕は思った。
一寸先は闇というけれど、新しい日々を充実させることができるか否かはとどのつまり、自分次第、ってことなんだな。
今年が少しずつ終わろうとしている。
掲載日付:2007/12/26