ちょっとした所用の帰り、ぶらりと「つつじヶ丘」駅で途中下車した。その時僕は、ぼんやりと電車に揺られていたのだった。空は雲が多いけれどよく晴れ渡り、夏を思わせた。車内の路線図を眺めていたら、「つつじヶ丘」という駅が目に留まった。つつじヶ丘といえば、深大寺や神代植物公園で有名だ。幸いにも時間があることだし、ここはひとつ深大寺を見物して、帰りがけに名物深大寺そばでも食べよう。そう思ったのである。
僕はこういった突然降って沸いたような時間の隙間をなるべく有意義に使うことにしている。もちろん、仕事が立て込んでいたらそうは言ってもいられないのだけれど・・・。普段なかなか時間の取れない生活をしている中でどんどん溜まっていく「あれ行きたい、これをしたい」をこういった機会にでも叶えておかないと、ストレスの発散のしようがないのだ。
駅前のロータリーから深大寺行きのバスに乗った。ゆるやかな坂を上り、住宅地を抜け、しばし走ると緑のトンネルに入る。神代植物公園に挟まれるようにバスは進んでいく。青葉が揺れる道に軒を並べるようにして蕎麦やが続く。これが名物・深大寺そばだ。お楽しみは後におあずけと、僕は深大寺でバスを降りた。
深大寺は正式名称を天台宗別格本山浮岳山昌楽院深大寺と言い、奈良時代の天平5年(733)に満功上人が開山したとされる由緒正しき名刹である。なるほど、至るところに小川が流れており、水気の多い土地だ。門前は参拝客で溢れ、にぎやかである。それは多分に、深大寺が縁結びの寺であることも大いに関係しているのだろう。
この土地に福満という青年がいた。彼はある豪族の娘と深い恋に落ちたが、それは許されぬ恋だった。娘の両親の反発にあい、二人は仲を引き裂かれ、娘は小島に流された。そこで福満は水神の深沙大王に祈願したところ霊亀が現れ、彼を娘のいる島へ連れて行ってくれたという。このことを知った娘の両親は二人の仲を許し、そして生まれたのがこの満功上人だったというわけである。上人は父から深沙大王を祀ってほしいという願いを叶えるべく出家し法相学を学び、733年に見事この寺を建てた。この物語が美しいのは、二人の愛が決して悲恋であったことではなく、二人の愛を受けて生まれた子が親の願いを叶えるべく寺を建立したことだろう。この初夏の空のように澄み渡った恋愛成就の物語を秘めた寺は、男女のカップルが引きも切らず、楽し気な家族連れが多く見られた。僕は境内をぐるりと散策し、濃い緑を楽しんでから、蕎麦やを目指した。
これだけお店が並ぶと、どの店に入るか悩んでしまう。すべてのお店のそばを食べ比べしてみたいものだと考えていると、腹がぐうっと鳴った。そんな悠長なことは言っていられない、「よし・・・」と一軒に入る。屋外のテーブル席に座り、通りを行き交う人々を眺めながら、深大寺ビールという地ビールを飲み、(もちろん蕎麦の味はしない)名物の蕎麦を食べた。江戸時代から愛されてきたという蕎麦は白く、クセもほとんどない。少し乱切りなのがご愛嬌か。瞬く間にざるを空け、少し温くなったビールを飲み干した。
長い時を経て、綿々と続くご利益を得たいという願う人々の流れを見ながら、人の心は時を経ようが一切変わるものではないと改めて感じた。つつじでなく、紫陽花が重たい頭を持ち上げるように咲いていた。梅雨がそろそろくるのだろうか。空はまだまだ高い。
参考:谷玄昭「住職がつづるとっておき深大寺物語」
掲載日付:2007/06/27