切り絵風景ハンティング/百草園にて:街はぴライター 投稿記事

切り絵風景ハンティング/百草園にて
【文化・歴史】【全線】
久保修」さんによって書かれた記事です。  
切り絵風景ハンティング/百草園にて   切り絵風景ハンティング/百草園にて   切り絵風景ハンティング/百草園にて
 長い坂をのぼりはじめると、とたんに鳥の鳴き声に出迎えられた。多くはウグイスである。ホーホケキョーと鳴く声やウグイスの谷渡りと呼ばれるケキョケキョと連呼する声にまじって、チョットコイとコジュケイが鳴く。ヒヨドリが空を裂くように鳴いて、木から木へと移っていく。陽光も初夏というだけあって日増しに強まり、坂道に沿うように続く豊かに生い茂った樹木が風に揺れて、耳触りの良い余韻を残す。
 若葉が緑を濃くしはじめた6月のある日、僕は京王百草園にやって来た。夏と勘違いしてしまうほど空が明るく澄んだ、汗ばむような陽気の昼下がりである。 

 京王百草園は江戸時代中期の享保年間に、小田原城主大久保候の室、寿昌院慈元長尼が徳川家康の長男、岡崎三郎信康追悼のために松連寺を再建し、その後庭園としてつくられた名園だ。特に、その寿昌院慈元長尼手が自ら植樹した「寿昌梅」とい梅の樹が有名で、毎年2月から3月にかけて咲き誇る梅の花は美しく、梅まつりには多くの観覧客で賑わうと言う。僕が訪れたこの日は、アジサイが咲き始めており、心字池の静止した水の上ではスイレンの花が麗しく咲いていた。
 行き慣れた新宿御苑に比べると、園内はさほど広くはないけれど、かえってそれが緑との親近感を深め、江戸時代にタイムスリップしてどこかの藩主の別邸にでも訪れたような気分になる。心字池に沿うようにして歩き、ノダナフジの棚をくぐり、視界が開けると、そこにどこか懐かしい茅葺屋根の松連庵が現れる。強い日差しを避けるように中に入ると、先ほど昼食をとった寿司屋で隣に座っていた二人連れの若い女性が縁側でくつろいでいた。こちらも向こうも照れたように挨拶を交わす。

 寿司屋の店主の後ろにずらりと並んだお品書きの中に「のれそれ」を見つけ、もうそんな時期か、と僕は頼んだ。ビールを飲みながらつまむ。つるっとしてとらえどころがないが、微かな噛みごたえがある。ビールをごくり。
 「のれそれって、なんですか?」隣から急に声が聞こえてきた。若い二人連れの女性が興味津々に店主に聞いている。「アナゴの稚魚だよ」店主が笑う。二人は口々にのれそれ、のれそれと言いながら、「それ、おいしいですか?」と僕に訊いてきた。「味はほとんどないけどね、この時期にしか味わえない初夏の食べ物だよ」と言うと、季節限定に興味を示したのか「わたしたちも」とのれそれを頼んだ。
 「のれそれ」は半透明で全長が10センチほどと細長く、プチンとついた目が愛らしい。「なんだか葛きりみたい」「少しぬるっとするけど、おもしろいね」と二人は楽しげに感想を言い合いながら、ペロリと平らげていた。僕もわさびを添え、醤油につける。喉ごしに夏を感じる。季節の花々、季節の風、季節の食べ物。毎年毎年当たり前のように巡ってくる四季を愛しく思う。季節の変化に富む日本に暮らす醍醐味というのは、つまるところここにあるんじゃないかな。そう思うたび、僕は満ち足りた気分になる。

 普段の騒々しい街中から離れて、松連庵で何を考えるわけでもなくぼんやりとした。黒光りする縁側を見つめていたら子どもの頃を思い出した。泥だらけになって友達を遊び回ったあの頃が突如として目の前に浮かんできて、懐かしさで一杯になる。自然の中に戻って、日々の喜怒哀楽が目一杯つまった体をリセットする。そうすると俄然仕事への意欲が増してくる。さぁ、帰って仕事をするか! 僕は幸福な気持ちで百草園を後にした。
掲載日付:2007/06/13
沿線ライター:久保修さん
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