時々僕は机の上にパステルを広げてにんまりすることがある。
どれも淡い赤、青、緑、黄……原色に比べると色としての主張も弱く感じるのだけれど、その分原色にはない温かさや和らぎがあって僕は好きだ。色を確かめるように一本一本手にとって眺める。「あの作品のあの部分にはこの色をもってくるか、それとも思いきって独創的な配色にしてみようか、いやまてよ・・」などと考えはじめると時が経つのも忘れてしまう。僕はこれを幸福な惑い、だと思っている。もちろん、時には色の迷路にはまって右往左往することもあるのだけれど・・・
今日もそうやってパステルを広げ、にんまりとしていたのは良かったのだが、なぜか広げた瞬間から気になって仕方ない色があった。若草色だ。読んで字の如く、芽生えたばかりの若葉が柔らかい風にさわさわと揺れているような色だ。この色を見た途端、僕はなんだかひどく落ち着かない気持ちになって、軽めのジャケットを羽織ると急ぎたてられるようにアトリエを出た。ビルの谷間に風が起こった。思わず目をつぶると風の中に、若草の芽吹きを少しだけ感じたような気がした。
アトリエから五分も歩かないうちに新宿御苑に着く。新宿御苑が誕生したのは、明治39年。皇室の庭園として造られた。戦後、国民公園と形を変え、多くの人に親しまれている。新宿という大都市の喧騒から二百円の入場料で、けたたましい店頭の呼び声も携帯電話片手に叫び合うような会話も、新宿通りを走る車やバイクの騒音からも隔絶してしまう。新宿御苑を散策する人の群れは、終始和やかで、自然に触れられる喜びに満ちたやさしい顔をしている。そこでは互いを思いやるかのように我がもの顔の大声が横行したりはしない。皆、のびやかに自然を謳歌している。
僕は探しものを見つけるために度々ここを訪れる。探しものは何であるかわからずに来ることもある。気を配っていないとどんどんと過ぎ去ってしまう季節の変容に注意深くアンテナを張ることで、大抵の探しものは見つかる。新宿に御苑がなければ、僕はどうなってしまうのだろう・・・・季節の移り変わりに敏感でなくなったら、人間はどれだけつまらないものになってしまうのだろう。そんなことを考えながら苑内を歩く。落羽松の大木に目礼する。桜が終わって、どこか華やいだ気分は薄れつつも、風の中に先ほどの気配は残っている。
そうだ、僕は若葉を探しにここへ来たのだ。はやる気持ちを抑え、上の池への道を歩く。木々のトンネルを抜け、視界に広がるのは、目を射すような新緑の饗宴! パステルカラーを見て落ち着かなくなったのは、僕はここに前回訪れたのが桜の時期であって、それからは仕事に追われ、ご無沙汰していたからだった。パステルの若草色に誘われたのだ。萌えるような緑に会いに行きなさい、と。
すっかり花びらの散った桜は、柔らかい若葉をたわわに茂らせ、ところどころ陽光によってきらめく様子は、まるでこの世の天国のようでもある。若葉は薄い葉脈を恥らうように、風の中で身もだえしている。僕は若葉の間に忙しく顔をつっこむメジロのように、苑内の木々の間を自由に飛び回る。ユリノキ、ホオノキ、花水木。八重山吹の目も覚めるような黄色に疲れた羽を休め、ベニバナトチノキの下でまどろむ。子どもたちは芝の上をうれしそうにはしゃぎ回り、恋人たちはベンチで愛を語らう。ふと気づくのだ。僕はパステルカラーの世界に全く入り込んでしまったのだと。新宿御苑という大きな色の道具箱に入り込んで、時間を忘れ、僕は色の洪水の中に身を浸す。
掲載日付:2007/05/08