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京王沿線 昭和を探検する旅
京王井の頭線
吉祥寺駅 周辺
井の頭線
井の頭線(1969年)。
車両は昭和27年より製造された「1800系」。
冒頭から私的なことだが、私にとって京王線は特別な思い出のある線である。
もう37年前のことだ。
京王線沿線の工事現場の作業員のアルバイトを学生時代にしていたのである。
八幡山駅を高架にしたのも私だ(セメントを流し込む作業を担当)。
と言うのはオーバーだが、当時の京王線にはまだ緑色の鋼鉄製車両が活躍していた時代だった。 当時鉄道研究会に所属していた私は、昼休みを利用して京王線を記録にするべく盛んにシャッターを切っていたのだった。
さて、今回の本題は吉祥寺駅付近にて昭和を発見するべく街を探検してみた報告ということになる。
北口のハーモニカ横町を探索
吉祥寺駅付近は日々変化している町といえる。
かつて30年ほど前に仕事先が井の頭公園近くにあったので5年ほど通ったが、当時から見ると特に北口はずいぶんと変わってしまった印象を受けた。 唯一当時の面影が残っているのは北口を出てすぐ左にある「ハーモニカ横丁」だ。平和通りとダイヤ街の間にぎっしりと数坪のお店が並んでいる。ハーモニカの吹き口のように店があるところから名付けられたという。
北口前のハーモニカ横丁
北口前のハーモニカ横丁
もっとも最近は若者相手の新しい店もオープンしているようで、それらと昔からあるいわば老舗店舗がすぐ隣にあったりと、その雑然としたところが妙に心地よい雰囲気となっている。そんな中で、北口に面した部分にあった、天津甘栗の「鈴一」にて甘栗を購入した。実は私は日本唯一の甘栗研究家という肩書きを持っている。
それはともかく、お店の人によると、終戦直後の闇市の時代から営業をしているとのこと。四畳半ほどの店内は時間が止まっているように思えた。
写真
甘栗屋さんの並びにて、「ペコちゃん」を発見!実はこのペコちゃんは私と同じ昭和25 年生(1950)であるが、ペコちゃんは永遠の6才、年に8回ほど服を新しく変えるというなかなかのお洒落という点が私と異なっている。
ペコちゃんに別れを告げて、今度は、サンロードと平行している広い道路を少し行った右手の地区に行ってみた。この付近は飲食店などが多いが昭和三十年代ころに建てられたと思われるモルタル作りのアパートなども少し残っている。それらのアパートには内風呂がない。
したがってこの地区には「よろず湯」という銭湯がある。
ちなみに銭湯研究家でもある私は今回駅付近の三軒の銭湯を訪れた。
よろず湯
「よろず湯」吉祥寺本町1-18-9
16:00〜24:30 土曜休
つたのある家
吉祥寺本町一丁目
路地にて発見。つたのある家
もう一軒は吉祥寺本町二丁目にある「弁天湯」。そして最後は吉祥寺北町三丁目にある「鶴の湯」だ。特に鶴の湯は昭和三十年代築の立派な宮作り様式で、浴室には富士山のペンキ絵や九谷焼きの鯉のタイル絵、さらには男女境にも風景のタイル絵があるという。豪華な伝統的銭湯で、風情ある空間となっている。
弁天湯
「弁天湯」吉祥寺本町2-27-13
15:40〜23:50 木曜休
鶴の湯
「鶴の湯」吉祥寺北町3-1-21
16:00〜24:00 金曜休
吉祥寺通りを越えて住宅地、そして井の頭公園へ
次は北口平和通りから吉祥寺通りを越えた住宅地を歩いてみた。
わずか駅前から5分ばかりだが、閑静な住宅地となっている。懐かしい昭和を訪ねるという目的もあるので、「昭和通り付近」を散築してみることにした。 吉祥寺本町四丁目の野田南公園の隣に「歌川模型」という小さな看板のある民家風の店を発見!店内には鉄道模型やプラモデルなどが置かれていた。
昭和三十年〜四十年代にかけて特にプラモデルはブームであり、私もかなり作ったことを思い出した。 この付近はよく観察すると戦前築の民家もけっこう残っていることがわかった。
写真 歌川模型店
「歌川模型店」吉祥寺本町4-8
また中道通りに画した「吉祥寺西公園」は、自然の原っぱそのものの雰囲気のユニークな公園となっている。
かつてはこのような原っぱはいたるところにあったのだが…。
吉祥寺西公園
「吉祥寺西公園」
最後に再び駅を越えて、井の頭公園の中に来た。
ちょうど野外ステージの横では、ボランティアの人が紙芝居を見せてくれていた。
それは戦後の不滅のヒーロー「黄金バット」だった。「この続きはまたあした」というおじさんの言葉に、ふと自分の少年時代のことを思い出した。
井の頭公園の紙芝居
井の頭公園の紙芝居